インタビュー

60~70年代からタイムスリップしてきたかのような風貌、サイケデリックと称されるサウンドやスピリチュアルな世界観から、アーティスティックでとっつきにくいキャラクターと思われてそうなテンプルズの面々ですが・・・

 

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・・・明るい・・・ってか、日本語じゃん!

もちろん、タワレコでの写真撮影会の時のノリノリな彼らを見てるので日本語のツィートくらい驚くには至らないんだけども。

アルバムの発売に合わせて色々インタビューが出て来たのだけど、その中でも清々しいほどに語ってくれちゃってます。

[Interview] Temples | Monchicon!

↑Thom&Samのインタビュー。

インタビュー中に出てくる曲の動画を貼ってくれてる親切なブログ。

 

ノエル・ギャラガーやジョニー・マーも絶賛、テンプルズがデビュー作を語る|MTV NEWS TEAM BLOG | 音楽(洋楽・邦楽)のことならMTVJAPAN

ー初来日おめでとうございます。2月のデビュー・アルバム発売を前に、既に日本の音楽ファンの間でも注目を集めているテンプルズですが、メンバーはどのようにして出会ったのですか?全員ケタリング出身ですよね?
ジェームス:
同じ町の出身なんだけど、知り合いではなかったんだ。でもアダムがミュージシャンだということは知っていたよ。

アダム: 僕も。お互いがミュージシャンだということは知っていたよね。
ジェームス: テンプルズを始めるきっかけとなったのは、僕とトム(ベーシスト)が作った曲をレコーディングし始めたこと。それをネットにアップしたら、2ヶ月ほどでライブのオファーが来たんだ。

―「Shelter Song」ですよね?
ジェームス: そうだよ。ライブをするためには、バンドを組む必要があった。アダムの曲は以前からオンラインで聴いて気に入ってたし、彼が僕らのバンドにぴったりだと分かっていたんだ。サム(ドラマー)とはもっと前から知り合いで、週末に一緒に飲んだりしていた。サムも僕らのドラマーとしてぴったりで、そうやってバンドを結成したんだよ。

ーケタリングはどんな町なのですか?
アダム: ロンドンから電車で北に1時間ほど行ったところにある小さい町だよ。あまり面白いことは起こらないけど、まあ良い町だ。
ジェームス: みんな進学で1度はケタリングを出たんだけど、戻ってきたんだ。全員違う学校に行っていたんだけど、ちょうど良いタイミングに戻ってきた。僕らは今もケタリングをベースに活動しているよ。

―バンド名をテンプルズにした理由は?
アダム: トムが思いついたんだよね?
ジェームス: うん、僕らはバンド名をつけるより前に、曲がたくさんできていたんだ。バンド名には映画的で、かつシンプルな名前を探していた。“シネマティック・デザート・オブ・ユース”とか、そういう長ったらしいのは嫌だったんだよね(笑)シンプルでかっこいい名前が良くて、“Temples”は字面も良かった。それに、エルサレムの城壁を描いた、僕らのお気に入りの絵画があったんだ。レコード契約がもらえるかも分からない頃、自分たちのEPのアートワークとしてその絵を使ったんだけど、ジャケットとしても良かったし、テンプルズという名前が絵を象徴しているように思えたんだよね。

―「Shelter Song」をインターネットにアップして一気にブレイクしたわけですが、あの曲はトムとジェームスが初めて書いた曲なのですか?
ジェームス: うん、他にも3曲あったよ。アルバムに収録されている「The Golden Throne」も初期の曲なんだ。「Keep In The Dark」と「The Guesser」もね。何回かライブをしていくうちに、もっとペースが早くて、バンドの実験的な一面を表現できる曲が必要だと考えたんだ。それで書いたのが「Sun Structures」で、ライブでも演奏し始めた。他の曲はそれより後に書いた曲だから、どれも新しいよ。

ーライブ活動を始めた頃は、オリジナルの曲が少なかったわけですね。
ジェームス: 4曲だけ(笑)カバー曲を練習する時間もないままライブ活動を始めちゃったから、5曲のセットで何とか時間をもたせていたんだ。今はセットリストに入れる曲の選択肢があってうれしいよ。
アダム: 本当に!
ジェームス: 1時間10分とかライブできるんだからね。

ー「Shelter Song」を公開した時は、バンドも存在していなかったということですが、今こうして日本にいるなんて想像できましたか?
ジェームス: 全然(笑)良い曲ができていたし、いつかはライブしたいとは思っていたんだ。でも、音楽が自分たちをどこへ連れて行ってくれるかは、全く想像できなかったよね。すごいことだよ。3分半の音楽が、こうして僕らをここまで連れて来たくれたんだから。
アダム: そうだね(笑)

ートムとレコーディングを始める前は、どんな仕事をしていたのですか?
ジェームス: 日本にもあるか分からないけど、僕は失業手当をもらっていたんだ。1年半ほど手当をもらって仕事を探していたんだけど、工場とかではなく、音楽関係の仕事に就きたかった。でもケタリングには音楽業界もスタジオもないから難しくてね。

ー他にもロック・バンドはいるんですか?
ジェームス: あんまりいない。シーンもとても小さいんだ。

ーデビュー・アルバムにはテンプルズの独特なサイケデリック・ロックが詰まっていますが、メンバーはどのような音楽に影響を受けてきたのですか?
アダム: 決してサイケデリックな音楽を聴いて育ったわけではないんだよね。
ジェームス: 僕らの両親でさえ、ザ・ビートルズキンクスストーンズは聴いていたかもしれないけど、サイケデリックな音楽を聴いていた世代ではない。もし両親があと5歳上だったら、そういった音楽も理解できたのかもね。
アダム: うちも。僕は自分で自分の好きな音楽を開拓するしかなかった。不思議なことに、僕らは一緒に育ったわけではないのに、みんな似たような音楽が好きだったんだ。

サイケデリック・ミュージックはある程度大きくなってから開拓したのですか?
アダム: うん。子どもの頃はヒップホップをよく聴いていた。

ー意外ですね、ラップしていたんですか?
アダム: 子どもの頃はラップしていたよ(笑)UKのアンダーグラウンドのヒップホップが好きだったんだ。
ジェームス: 僕は自分の部屋にエルヴィスの写真を飾っていた。まだ7歳で、彼のことはよく知らなかったんだけどね。それからソングブックをもらって、「Love Me Tender」とかシンプルな曲が載っていたのを覚えている。その年のクリスマスに初めてギターをもらったんだよ。

ー7歳のクリスマスに?
ジェームス: うん、ウクレレだったけどね。それでずっと遊んでいた。その2年後にハーフサイズのギターをもらって、もらってから20分で1曲マスターしたよ。

ー初めて覚えた曲は覚えていますか?
ジェームス: 確か「If I Had A Hammer」だったと思う。初心者用のギター本を持っていたんだ。初めて覚えたコードはEmだった。
アダム: (笑)
ジェームス: 簡単だよね(笑)

ーアダムは何か楽器を習っていましたか?
アダム: 僕は何も習っていなかったよ。15歳までサッカーをやっていたんだけど、ひざを痛めてしまったんだ。それで「ギターでも買うか」って、音楽を始めた。15歳くらいから曲を書いているけど、初めて書いた曲がいまだに最高の出来だよ(笑)

ー「Shelter Song」はどのように誕生したのですか?
ジェームス: 最初に僕がリフを思いついて、それからトムが参加して、2人で一緒に基本を作っていったんだ。それにドラムのサウンドもね。モータウンっぽいリズムセクションを書いて。そこから僕の頭の中に浮かんだアイデアを出して、それをトムと一緒にまとめていった。決して長時間考え込んだわけではなく、とても早く出来上がった曲なんだ。インスピレーションは何だったんだろうな…
アダム: ラブソングだろ?
ジェームス: 歌詞は曲ができてから書いたんだ。曲に合わせて言葉を書いていった。
アダム: 良い歌詞だ。

ー「Shelter Song」をレコーディングした時点では、ジェームスとトムが全ての楽器を演奏したのですか?
ジェームス: その通り。アダムとサムが加入する前だからね。今回のアルバムは僕の実家で作ったから、レコーディングのスペースも限られていたし、2人が加入前の曲でも、そのままのサウンドで良いものは録りなおさなかった。でも次のアルバムは違う場所で作るよ。

ーHeavenly Recordingsが、あなたたちのライブ・パフォーマンスを観る前に契約したというのは本当の話ですか?
ジェームス: うん。
アダム: クレイジーだよね。
ジェームス: すごく驚いたよ。その時点では僕らの写真すら出回っていなかったし、詳細な情報もなかった。さっき話した絵を使ったアートワークしか世に出ていなかったんだよ。でもそれが逆に良くて、みんな先入観なしに音楽を聴いてくれたんだ。年齢も見た目も知らないままね。

ーもしかしたら70歳かもしれないのに。
ジェームス: そうだよね(笑)
アダム: ほんとだよね(笑)でもHeavenlyは素晴らしいレーベルで良かったよ。

ジョニー・マーが「Shelter Song」を「今年最も良い曲のひとつだ」と言ったり、ノエル・ギャラガーがテンプルズを「世界最高のニューカマーだ」と言ったりしたと話題になっていますが、こうした現状をどう思いますか?
ジェームス: 分からないな。
アダム: 彼らはクレイジーだよ(笑)

ー実際にお会いしたことはありますか?
アダム: うん、良い人たちだったよ。ジョニー・マーには、「マンチェスターでライブをすることがあったら、うちで洗濯していいよ」って言われた(笑)
ジェームス: ノエルには、「君たちのサウンドは、俺がオアシスでの20年で得ようとしたのに得られなかったサウンドだ」って。

―それはすごいですね!注目のデビュー・アルバムは2月にリリースされますが、ようやく完成してどのような気分ですか?
ジェームス: 興奮しているよ。ライブの合間をぬってレコーディングしてきたから、完成した今、ようやくライブに集中できて最高だ。もちろん、最近でも好きな時に曲作りはするけど、レコーディングのことを心配する必要はない。2014年はこのアルバムを引っさげてツアーするんだからね。

ー「Shelter Song」を書いてから、どれくらいの時間が経ったのですか?
ジェームス: あれは2012年の7月か8月だったかな。まだそんなに経っていないよ。最後に書いた曲「Fragment's Light」は、アルバムの締切りの3週間前に書いたんだ。
アダム: ほんの2ヶ月前のことさ。
ジェームズ: 「Mesmerize」も書いてから半年くらいしか経っていないしね。

ーアルバムのタイトルに『Sun Structures』を選んだ理由は?
アダム: 本当はアルバムのタイトルを『Prisms』にしようと思っていたんだ。そしたらケイティ・ペリーが『Prism』っていうアルバムをリリースしたから、ダメになっちゃったんだよ!
ジェームス: 『Prism 2』にしても良かったんだけどね(笑)でも、バンドの作品として映画的なタイトルを探していて、『Sun Structures』は好奇心をそそる言葉の組み合わせだと思ったんだよ。

―実家でレコーディングしたそうですが、すごく理解のあるお隣さんだそうですね。
ジェームス: そうなんだよ(笑)60歳くらいの庭師なんだけど、僕が生まれた頃からうちの隣に住んでいるんだ。本当に良い人で、1度も騒音について苦情を言われたことがない。「君が作っているのは音楽で、決して騒音ではないよ」って。とても優しいんだ。父親には電気代でちょっと文句を言われたけどね(笑)でも基本的には、親たちも僕らの音楽活動を応援してくれているんだ。

ーアルバムをセルフプロデュースした理由は?
アダム: その方がよりコントロールできるし、好きなだけ時間を費やせるから。それに、既に良いサウンドができていたから、高いお金を払って他のプロデューサーを雇う理由がなかったよね。
ジェームス: プロデューサーの名前のためにね。僕らは自分たちでプロデュースしたサウンドに自信を持っているんだ。

ー将来的に一緒に仕事をしてみたいプロデューサーはいますか?
アダム: ブライアン・イーノ
ジェームス: 特にこの人っていう人は思いつかないかな。一緒に仕事をしたいプロデューサーはみんな死んでいると思う。ジャック・ニッチェとかさ。フィル・スペクターはまだ生きているけど、刑務所にいるしね。

ーデビュー・アルバムを制作する上で、バンド内でのこだわりはありましたか?
ジェームス: 新鮮味に欠けるサウンドにならないようにすること。過剰なプロデュースは避けたかったんだ。アルバムを通じて、その時点での自分たちが表現できるような一連のサウンドを作りたかった。

ー「Hostess Club Weekender」での日本での初ライブは、かなり盛り上がっていましたね。既にたくさんの日本のファンを獲得しているようでした。
ジェームス: ああ、オーディエンスは最高だったよ!すごく良かった。
アダム: 日本のファンもすごく盛り上がってくれてうれしかった。
ジェームス: プレゼントもたくさんもらったよ!イラストを描いてくれた人もいて、うれしかった。
アダム: 素晴らしかったね。

ー滞在中に日本でトライしたいことはありますか?
アダム: 今日の午後はオフだから、神社に行くつもりだよ。
ジェームス: 僕はワサビが食べたい。ワサビって日本のものだよね?イングランドにワサビ味のマメがあっておいしいから、何かワサビ味のものが食べたいんだ。

ー2013年は大きなターニングポイントになったかと思いますが、振り返ってみてどのような1年でしたか?
ジェームス: 良い年だった。
アダム: 早かったし、長くもあった。
ジェームス: 9時5時の仕事をしていたら、きっと毎日同じことの繰り返しだろう。僕らも毎日ライブをやっているわけだけど、行く先々で新しい体験が待っている。だから、あっという間のように感じるけど、たくさんの経験をして充実しているんだ。
アダム: 全体を通して最高の年だったね。

ー最後に日本のファンにメッセージをお願いします。
アダム: ありがとう。みんなのことが大好きだよ。これ以上ないほどに歓迎してくれて、素晴らしい時を過ごせたよ。
ジェームス: アリガトウ。絶対にまた来日したいよ。明日にでもね!